はる、」
少年は慌てることなく、変わらない口調で俺の背後に呼びかけた。
「このひとは『違う』。大丈夫」
少年がそう云った途端。ふ、っと気配が消える。
全身に汗が滲んでいた。なんだこれは。・・・・・・恐怖?
少年は、「お兄さん、」と、俺の手首を掴み、強張ったまま自分の意思に逆らい続けている俺の指を一本一本ゆっくりと外すと、すっ、と自ら躰を引いた。
そして、「はる、」
少年は再び俺の背後に呼びかけた。ざわざわと葉擦れの音。
「おいで杳(はる)。帰るよ」
ざっ、と。足音。
突然露になった気配に驚きながら俺が顔を上げると、そこには、遮光レンズのゴーグルをかけた少年が立っていた。
当然目許は見えない。それでも彼の貌立ちがとても端正だということがわかる。
そして彼から発せられる、気配―――殺気。いやもっと鋭利で虚ろな―――、
「ごめんねお兄さん。怖かった?」
少年がまた首を軽く傾げる。
「まだ、判断が付かないんだ。飼い始めたばかりだから、躾が成っていなくて、ごめんなさい」
飼い始めた?
「怖がらせちゃったお詫びに、教えてあげる」
少年はにっこりと微笑む。
少年は【nameless】の方へと腕を伸ばし人差し指を立てた。
「お姉さんは、あの街へ行きたいって云っていた。だけど、自分が居なくなっちゃったら、お父さんが大変なことになるし、弟にもなにか報復があるかもしれないって。悩んでたよ」
「・・・・・・ほうふく、」
「【とうこつ】が相手だから。って」
じじじじ、と。微かな音をたてて外灯がつく。周囲はいつの間にか夜に昏んでいた。
弱い外灯の光と、淡い月のあかりとが、
少年をまた更に幻想じみた存在にみせる。
ばさばさと、羽音が遠のいていく。
黒い影が、一瞬月を隠した。