壱色ノ匣:ヒトイロノハコ

モノガタリ綴り

[S/3]

「―――あいつさぁ、」
 紫煙が揺れた―――様にみえた。
 錯覚だ。だって夜衣(よい)はもう煙草を喫っていない。夜衣が吐いたのは、ただの白い息。
 ぼくは夜衣に眼を向けて、それからその視線の先を追って天を見上げる。
 冬の夜空。澄んだ空気に星が瞬いている。月は細く、居心地悪そうに浮かんでいた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・どーすんの?」
 その声が少し震えていたのは、この寒さの中長時間こんな処に立っていたからだろうかそれとも、
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・どう・・・・・・、」
 何気ない風を装ったぼくの声も震えていた。「ふぅー・・・・・・」と息を吐いて、云い直す。
「どうしたい?」
 夜衣がぼくを見たであろう一瞬の視線を感じたけれど、ぼくは夜衣を見なかった。
「・・・・・・べつに俺は・・・・・・、」
 ぼそぼそと、そう云った夜衣の声は、冷え切ったコンクリの上にほとりと落ちて消えた。
 暫しの沈黙。
 ビルの屋上、冷え切ったフェンスに凭れた背中。
 隣で盛大なくしゃみが聞こえた。
「あー、くっそ。寒いな。俺寒いの嫌いなんだよ」
 鼻を啜りながら、夜衣が肩を竦め、また空を見上げる。
「おまえ寒くないの? 俺より先に来てたじゃん」
 約束している訳でも無いのにいつもぼくらはここで落ち合う。そしてここから、
 同じ空を見ている。あの月のムコウの、
  おなじ〈■■〉を、――――――、

 

 


 
 ――――――――――――求めてるよね。

 

 

【ねえ誰れか、】3

 

 ああ、【永遠】という言葉が、こんなにも儚く虚しく霧散していく。
 
「大丈夫。アナタたちのことは、私が守る」
 僕はよっぽどな表情をしていたんだろう。幼い子供を宥めるような優しい笑みを浮かべ、でもきっぱりと云ってくれたのは、僕たちの所属している小さな音楽事務所の社長。あのとき、僕たちを見つけてくれた。そして必死で育ててくれた。彼女がいたからこそ僕たちはこうして存在していられる。このひとは、身内を捨てたりしない。僕たちを、放り出したりしない。このひとがこう云ってくれるのならきっと大丈夫。僕が頷こうとすると、
 がたっ、と。―――大きな音。
 眼を向けると、計登さんが足をテーブルにかけ、揺らしていた。
「・・・・・・・・・・・・計登、」
 社長が呆れたような心配そうな声を出す。
 がッ! がたがたがた、
 計登さんは椅子に座ったまま。腕を組んで。行儀悪く足をテーブルに掛けて揺らしている。
 目深に被ったキャップに隠れて、表情は見えない。
  がたがたがた、
 がたがたがた、
「計登、」
 がたがた、「計登」
がたん!
 テーブルが倒れる。カラカラと、上に載っていたペン
 室内に緊張にも似た静寂が満ちた。
 僕は息を止めていたのかもしれない。

「・・・・・・・・・・・・んな、」
 ぼそっと。「・・・・・・・・・・・・・・・・・・なに云ってんだよ、」伏せた顔。見えない表情。低い、声。
「・・・・・・計登さん、」
「ふざけんなよ。なにが『守る』だよ。ふざけんな」
 そう云って、計登さんは立ち上がる。
「ふざけんな」
 低い。抑えた声。
「俺が、俺が守るんだよ。全部。あいつらのことも、都古くんのことも、《eternal》のことも。俺が!
 俯いたまま、両手をぎゅっと握りしめて。
「それは俺の役目だ、」
 きっぱりと。
 そう云うと顔を上げた。
 意志の強い大きな眼。眠れていないんだろう、眼の下には濃い隈がくっきりと。
 気圧されて、僕も社長もなにも云えずにいると、
 ふ、っと。力を抜き、少しあらぬ方向を向いてから、首を左右に倒し、
「ついでにアンタのことも守ってやるからよ。仕事取ってこいよ、社長(かーちやん)。バンド活動以外はなんでもやってやるよ」
 不貞腐れた顔をつくりながら、口許を笑みの形に歪めた。

[S/2]

空が青いと思い知ったのは夜衣(よい)が吐いた煙草の煙を眼で追いかけたときだった。
 ビルの屋上で吹きっさらしの真冬の澄んだ空を見て、セカイは美しいんだなって、理解した。
 白く淡い煙草の煙が、青く鮮やかな空にとけていく。あの日―――そう、あの日あの瞬間まで、ぼくらは―――
 ぼくらはふたりきりだった。
 ぼくらはひとりきりだった。
 ぼくらはふたりで、ひとつだった。
 ぼくらのせかいは、ふたりでひとつで、完結していたのに。

[S/1]

  
  ココロが死んでいく。
 笑顔を貼り付けたまま。
 紛い物の光に照らされた足許は、昔もいまもこの先だって脆く崩れやすくて不安定だ。

 

【ねえ誰れか、】2

 なんの冗談かと思った。それで思わず周囲を見回してしまった。どこかに隠しカメラでもあるのかと思って。
 でも見知った事務所の小会議室には、見慣れた物しか置いていなくて。そこに座る社長の表情も、帽子を目深にかぶって腕組みをしてどっかりと座っている計登さんも、そんな冗談を仕掛けるような空気なんて全く纏っていない。

「今後のことを決めないといけない」

 招集がかかった。事務所の会議室。社長にそう云われた。その言葉の意味。4人いる《eternal》のうち、ここにいるのはふたり。僕と計登さんのふたりだ。・・・・・・時雨さんと十蒼(とおあ)さんは、いない。

「今後のことを決めないといけない」

『あのこと』があって、一ヶ月が経った。幸い、と云って良いんだろうな。いま僕らは、『あのこと』には関係無しの、少し長めの休暇中だから、―――だから、『あのこと』自体はまだ知られてはいない。事務所の社員にすら知られてはいない。
 デビューして、あることでブレイクしてからのここ数年めちゃくちゃに忙しかった。漸く、世間に忘れられたりはしないであろうくらいに名前と顔とが周知された僕ら《eternal》。ここらで少し休養しておこうか。そんな感じの、気軽なお休みだった筈なのに。

「今後のことを決めないといけない」

 呼び出された事務所の会議室で。社長にそう云われた。その言葉の意味。
 理解ができなかった。
 ・・・・・・違う、
 その意味なんてすぐに分かった。
 だけど、認めたくなかったんだ。
 だって僕たちは、【永遠】だった筈でしょう?
 なのに、

『無期限活動休止』―――『活動休止』そんなことを僕たちが? 《eternal》が? 『無期限』の? あり得ない。信じたくない。だって、―――だって、・・・・・・ああ、でも、そうか、そうだよね。その、あり得ないことがいま、おきているんだ。

 

【ねえ誰れか、】1

 

「あのねぇ、ずっと、」
 なんの脈略もなく、だけどとても自然に、空を見上げていた時雨さんが口を開いた。どこまでも青い空に、綿あめみたいな真っ白な雲がひとつ、ふわふわと時雨さんの視線を誘いながら流れていった。
「ずっと、探している気がするんだ」
 夢のなかにまだ、半分くらい居る。そんな表情をして時雨さんはそう云った。
  独り言なんだろうか。隣に立つ僕は、どう返せばいいのかそれとも聞こえない振りをしていれば良いのか、迷い、半端に口を開いたまま、時雨さんの端正な横顔をただ見つめる。
「なにを、だろう。なにを・・・・・・、なんだろう。でも、わかんない、」
 漂う雲を追っているのか、それともあの空の向こうをただ見ているだけなのか。定まらない視線。曖昧に笑みを浮かべたような口許。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・わかんないんだ、」
 だから僕はわかってしまった。おかしいな。時雨さんの考えていることなんて僕にわかるわけがないのに。時雨さんは自分の本心を他者にさらけ出すことなんて無いはずなのに。
 出会ったときから僕はこの人のことがわからずにいる。やわらかくてふわふわとした、そう、あの浮雲みたいな人だと思っていた。
 なのにいまこの人は、戸惑いを隠せずに、迷子みたいに、途方に暮れている。
 だから僕はわかってしまったんだ。
 ああ、そうなんだ。きっとこのひとは未だ、―――まだ、夢から覚めずにいる。

 

【欠けてるんだ、】4

 

 
   ああ、そうか、おれは、

 

                       約束をしたんだ、―――約束を、だから、

 

   だからそうか、たいせつな■■を手放したから、だから、
 
   だからおれはまた、
                                                             

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                      空っぽだ。