壱色ノ匣:ヒトイロノハコ

モノガタリ綴り

cry for the moon【交錯】/6

そして少年は『良くあるハナシ』を語る。
 ・・・・・・近くも遠い国で、おんながひとり、捨てられた。と。
 まるで飽きられた人形の様に、
 まるで壊れてしまった玩具の様に、
 無造作に、
 廃棄されていた。と。
 そんなことは日常茶飯事で、
 そんなことは『ヨクアルハナシ』で、
 そんなことは誰れも気にも留めない些末な事だと。

 弱き者の末路。

 救いはそこに無いのか、
 弱き者は、救われはしないのか、

「ひとのいのちなんてとくべつなものじゃないよね」
 あの少年は無邪気に、曇りの無い眼差しで、
 そう微笑んで傍らに立つ『はる』の手を取った。

「・・・・・・・・・・・・よくある、はなし・・・・・・、」
 ああ、・・・・・・ああ、そうなのか。
 ひとのいのちは、そんなにも軽いものなのか。

 俺が守りたいと思っていた彼女は、
 俺を守るためにその身を闇に投じた。
 例え取るに足らない命でも、
 俺にとっては重く、大切だったのに。
 だけどああほら既に「だった」なんて過去のものとしてしまっている。

 救えない、
 届かない、

 闇の底は想像以上に冥く深く底無しだ。

cry for the moon【交錯】/5

はる、」
 少年は慌てることなく、変わらない口調で俺の背後に呼びかけた。
「このひとは『違う』。大丈夫」
 少年がそう云った途端。ふ、っと気配が消える。
 全身に汗が滲んでいた。なんだこれは。・・・・・・恐怖?
 少年は、「お兄さん、」と、俺の手首を掴み、強張ったまま自分の意思に逆らい続けている俺の指を一本一本ゆっくりと外すと、すっ、と自ら躰を引いた。
 そして、「はる、」
 少年は再び俺の背後に呼びかけた。ざわざわと葉擦れの音。
「おいで杳(はる)。帰るよ」
 ざっ、と。足音。
 突然露になった気配に驚きながら俺が顔を上げると、そこには、遮光レンズのゴーグルをかけた少年が立っていた。
 当然目許は見えない。それでも彼の貌立ちがとても端正だということがわかる。
 そして彼から発せられる、気配―――殺気。いやもっと鋭利で虚ろな―――、
「ごめんねお兄さん。怖かった?」
 少年がまた首を軽く傾げる。
「まだ、判断が付かないんだ。飼い始めたばかりだから、躾が成っていなくて、ごめんなさい」
 飼い始めた?
「怖がらせちゃったお詫びに、教えてあげる」
 少年はにっこりと微笑む。
 少年は【nameless】の方へと腕を伸ばし人差し指を立てた。
「お姉さんは、あの街へ行きたいって云っていた。だけど、自分が居なくなっちゃったら、お父さんが大変なことになるし、弟にもなにか報復があるかもしれないって。悩んでたよ」
「・・・・・・ほうふく、」
「【とうこつ】が相手だから。って」
 じじじじ、と。微かな音をたてて外灯がつく。周囲はいつの間にか夜に昏んでいた。
 弱い外灯の光と、淡い月のあかりとが、
 少年をまた更に幻想じみた存在にみせる。
 ばさばさと、羽音が遠のいていく。
 黒い影が、一瞬月を隠した。

cry for the moon【交錯】/4

きれいなひとだね、」
 長い沈黙の後、少年がそう云った。「お兄さんに似ている」
 そう云われ、少し驚いた。
 似ているなんて云われたことは無い。
 俺は少年に向けた彼女の写真を見つめた。
 そうか、似ているのか。
 血の繋がりを思い、苦さが胸に広がる。
「・・・・・・姉だ、」
 少年の反応を見て、はずれだったかとがっかりしながら答える。
「お姉さん。・・・・・・そう、・・・・・・」
 少年は俺に写真を返す。
「お姉さんは、どうしたの? どっか行っちゃったの?」
「・・・・・・なんでそう思う?」
「だって、『見たこと無いか』だなんて訊くってことは。そういうことでしょう?」
「そうか・・・・・・そうだな、・・・・・・」
 俺は写真を見つめ、またポケットに仕舞う。
 羽音が聞こえる。ばさり、ばさりと。
 この場所は、こんなに鴉が多かったか?
 俺の心を読んだかのように、ヤツは「カァ」とまたひと鳴きした。

「見たことあるよ」

 不意打ちの少年の言葉に、反射的に手が伸びてしまった。少年の肩を掴む。「見た?」
「痛いよ、」
 少年が軽く顔を顰めた。
「見た? やっぱりそうか、お前だったのか」
 少年の肩を掴み、勢い込みながら華奢な躰を揺さぶった。
「天使はお前だったのか。いつ? 最後に見たのはいつだ?」
 と、刹那。背中が強張った。どうしたんだ。と自分に問いかける。
 ちりちりと、項になにか・・・・・・なんだこれは。
 なんだこの怖気は。
 項が微弱な電気を帯びる。
 その電流がぞぞぞと背筋を駆け降りた。
 俺は少年の肩を掴んだまま、動けなくなる。
 背後に、唐突に現れた気配。ぞわりと全身の産毛が立ち、腹の底が粟立つ。

cry for the moon【交錯】/3

 ・・・・・・天使が居るのよ。

 そう云って、寂しそうに微笑む彼女。
 ・・・・・・そうだいつだって彼女は寂しそうに笑っていた。
「・・・・・・天使、」
 声に出ていたらしい、少年の視線がまた俺に向いていた。
 訊いてみようか。
 駄目で元々。少しでもなにか掠れば。
「この女を、見たことは無いか?」
 ポケットから取り出して写真を見せる。
 少年がそれを受け取り、ちょっと首を傾げた。
「・・・・・・・・・・・・、」
 沈黙が酷く重い。
 鴉がばさりと、何処かで羽ばたいた。

cry for the moon【交錯】/2

「お兄さん?」
 その声で我に返った。少年が心配そうに俺を見ていた。
 どうしてか、俺は吸い寄せられる様に、少年にふらりと近づいた。
 少年は、警戒するでもなく、ただ俺を見ている。
 鴉が「かぁ」と一声だけ鳴いた。
 一瞬空気が密度を増した気がした。何故だろう、胸がざわざわとさざめく。
 少年は俺を見上げている。
 ・・・・・・純な表情。あどけない顔だ。
 綺麗なものしか、知らない。無垢な貌。
 眼の色が、・・・・・・灰色なんだな。やっぱり純粋な日本人じゃないのか?
「・・・・・・・・・・・・ねぇ、お兄さん。あっちに『街』があるでしょう? 工場の跡地。あそこにはひとがたくさん住んでいるんだって。あのね、あの街に居るひとたちは皆、『家族』なんだって、」
 少年がそう云って向こう側の、見えない街を指す。
「あの街に逃げ込めば、守って貰えるんだって。あそこには、『守護神』が居るんだって、」
「・・・・・・・・・・・・、」
「血の繋がりが無い、『家族』。その絆は、何処にあるのかな」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・、」
「あそこに行けば、ぼくも『家族』にしてもらえるのかな」
 独り言のように、ぽつぽつと語る。その言葉の意味を、俺は咀嚼する。
 家族。
 血の繋がりなんて枷にしかならない。
 血の繋がり、その絆をいっそ断ち切ることが出来たら。
 ・・・・・・そうすれば彼女は、
 彼女は自由に、
 思いに沈みそうになり、俺は頭を軽く振った。
 今更だ。
「・・・・・・・・・・・・、」
 俺は顔を上げ夕焼けの空を眼に映す。
 かなり陽が傾いてきた。
 黄昏と夜闇の、このあわいの境界が少年の、性別を一層曖昧にして、
 そう、いっそその決して派手ではない貌立ちが、この現実味を薄れさせているのか。
 ・・・・・・天使、か。
 太陽が、空を染めて、空を燃やして、
 ここから見えないあの街も、いま赤く染まっているのだろうか。

cry for the moon【交錯】/1

あれはいつのことだったか。彼女が云っていた。それを不意に思い出した。

 夕陽の残光に、その淡い金色の髪が煌めいている。
 なんだか酷く非現実的な情景だった。だから思い出した。彼女がいつか云っていた、あの言葉を。
 金色の光に縁取られた輪郭。まるでその姿そのものが発光しているかにも見えた。

 

『・・・・・・ほんとうよ? 黄昏のなかに天使をみたのよ』

 
 
 不躾な俺の視線を感じたのか、少年が顔を上げ俺を見た。
 肌が白い。但しそれはあくまでも日本人の肌の色。
 貌立ちは寧ろ地味だ。
 プラチナに近いブロンドの髪。脱色しているにしては妙に馴染んでいる。とすれば、地毛なのか?
 お坊ちゃん学校の、制服。それを規則通りに乱れなく身に着けている。
 まるで学校案内のパンフレットの如く。
 だから一層、その髪色に眼がいってしまう。
 不自然ではないけれど。不自然ではないからこそ。―――違和感。
 そんなことを思っていると、ふと気づいた。
 少年が不思議そうに俺を見ている。
「こんな時間にこんな処にひとりで居たら危ない」
 ・・・・・・ああ、違うな。『俺』が、コイツを見ているんだ。そう気づいて。・・・・・・それを取り繕う様にそんなことを云ってしまった。
 少年はきょとんとしている。まるで危機感のない、あどけない表情。
「先週、」そう云いかけて。やめた。あれは只の噂だ。

 先週ここで、人が死んでいたらしい。
 確かにこの辺りの治安はあまり良くは無い。いや、はっきり云って悪い。
 けれどそれなりの秩序があって、人死にが出るなんてことは、聞かない。少なくとも、俺は聞いたことが無い。
 人が死んでいたらしい。
 喉を切り裂かれていたらしい。
 瞼を縫い合わされていたらしい。
 まるで、飽きられたおもちゃのごとく、惨く、無造作に、捨てられていた。らしい。
 噂だ。
 表だって報道はされていない。だからこれは『噂』だ。
 きっとこの少年が住まう、上品で穏やかで微温湯の様なお綺麗な場所には流れていかない、その世界には無縁の噂だ。
「この辺りは、お前みたいなお坊ちゃんが居ていい場所じゃない」
 代わりにそう云うと、少年は、得心がいったように少し笑った。
「お兄さんは、ここに居てもいいひとなんですか?」
 その見目から考えていたよりは低い、大人びた声が問い返してきた。
 俺は少し躊躇って、「そうだ」と答えた。
 少年は、また少し笑みを深くして、「そうなんだぁ、」と、俺から眼を離し、正面に眼を向けた。
 俺もつられて少年の視線の先を追う。
 木々に遮られ、見えない向こう側にあるのは、『総てを棄てた者』の窟。【nameless】。
 あの街・・・・・・そうだ、今やあそこは『街』なんだな。かつての九龍城の様な不可侵のスラム街。
 あそこに・・・・・・居てくれたら良かった。だけど、・・・・・・、

cry for the moon【交錯】/追憶

『・・・・・・・・・・・・・・・・・・ねぇ? 信じる?』

 いつだったか、

『・・・・・・ほんとうよ? 黄昏のなかに天使をみたのよ』